皆さまいつもありがとうございます。
普段鑑定をさせて頂いている方もそうでない方も改めまして鑑定士の藍です。
さてこの度はハロウィンにちなんで普段鑑定でお伝え出来ないような事を
コラムを通じて皆様にお伝えできればという事でペンをとらせていただきました。
普段から開運や占いなど自らの幸せに対して前向きに取り組む皆様の何かのきっかけになればと思っております。
因みに私自身は密教の僧侶として日々勉強に励んでいる中で、
西洋の文化であるタロットカードなどは鑑定にもちいたりもしますが、
ハロウィン自体はそんなに馴染みのある文化ではありません。
しかし、そんな私があえてこのコラムを書こうと思ったのは、
様々なものが淘汰される時代のなかで、
少しずつ形を変えてでも受け継いでいかれる文化というものはきっと私達人間にとって凄く意味のある事であるのではないかと私自身が日々感じております。
私達が現在住む日本国でも宗教感や占い感というものは多岐に渡り選択する事も出来ますが、
同時に沢山の迷いを生んでいるように思います。
目の前のイベントをただ楽しむ。という純粋な心は大切ですが、
今回は改めて楽しむイベントの中に皆様の開運の学びの一歩になればと思い仏教からみるハロウィンという切り口から皆様にまた違った角度のハロウィンをお伝え出来ればなと思っております。
さて本題にはいりますが、
ハロウィンはそもそもが秋の収穫を祝い悪霊などを追い出す宗教的なお祭りが民間行事になって定着したもの。
各国での違いはあるようですが、日本では仮装など宗教的な意味合いよりも民間行事の意味合いが強いもののようですね。
収穫を祝いながら、先祖の霊が帰ってくる時期にもあたり、先祖の霊を迎えて一緒についてきてしまう悪霊を払うというような事が起源だという事。
日本ではお盆に近いようですね。
そして魔女や精霊に扮した子供達がお菓子を貰いに訪ねてくるというもの。
こうやって尋ねてくる子供の存在を思いお菓子を用意して迎えていたという背景を想像しますと胸が暖かくなる文化になりますね。
さて仏教にも自分ではなくまず人を先に思う利他業という教えがあります。
これはこの世界において他人の利の為に行動や考えを巡らせる事が出来るのは人間だけだと言われています。
しかし今は少し歪んだ利他業が蔓延しつつもあります。
その一つは過剰なサービスの供給でしょう。
お客様は神様という言葉が独り歩きをし過ぎて、
お客様が神には程遠い存在に結果的に進んでしまうことにもなっています。
これはひとえに表面的な利他業であります。
利他業の真の目的というものは、
自分自身つまり利他業を試みる本人がただ目の前の例え小さな事でも、感謝ができる気持ちを持つ事ではないかと思います。
決して私さえ我慢すれば、とか、自分が耐えれば。という考えから生まれるものではありません。
それは即ち貴方が本当に大切に思う相手がただそこに存在するだけで幸せであるという思い。
言葉にする事は簡単ですが実際この感謝に至るのは非常に難しいものです。
難しいからこそ自分が我慢をすれば良いというほう方向に行きやすいのですね。
しかしここで角度を変えて考えてみると、
あなた自身を本当に思う相手が貴方の我慢の上に関係を成立させたいと思うものでしょうか?
ハロウィンのお菓子を貰えなかった精霊の悪戯も可愛い範囲であるからこそ残された文化であって、我慢や無理を強いられる様な文化では語られる事が難しかったでしょう。
利他業から得られる幸せというものは試練でもあり簡単に得られる様なものではありません。
がしかしだからこそ、得られた時には
相手を思いやる事で純粋な感謝が得られる程の状態に自分を落ち着かせる事ができる幸福を手にする事ができるのだと思います。
相手を思いやる事で自分を幸せに向かう事が出来るというのは一つのとても幸せな人間の生き方だと思います。
中々辿り着く境地ではないからこそ、
ハロウィンなどイベントの時に普段何気なく過ごしている
家族・仲間・恋人・自分の周りの人に思う気持ちを渡していきましょう。
その一歩がきっとあなたを真の幸せに気づかせてくれます。
普段鑑定をさせて頂いている方もそうでない方も改めまして鑑定士の藍です。
さてこの度はハロウィンにちなんで普段鑑定でお伝え出来ないような事を
コラムを通じて皆様にお伝えできればという事でペンをとらせていただきました。
普段から開運や占いなど自らの幸せに対して前向きに取り組む皆様の何かのきっかけになればと思っております。
因みに私自身は密教の僧侶として日々勉強に励んでいる中で、
西洋の文化であるタロットカードなどは鑑定にもちいたりもしますが、
ハロウィン自体はそんなに馴染みのある文化ではありません。
しかし、そんな私があえてこのコラムを書こうと思ったのは、
様々なものが淘汰される時代のなかで、
少しずつ形を変えてでも受け継いでいかれる文化というものはきっと私達人間にとって凄く意味のある事であるのではないかと私自身が日々感じております。
私達が現在住む日本国でも宗教感や占い感というものは多岐に渡り選択する事も出来ますが、
同時に沢山の迷いを生んでいるように思います。
目の前のイベントをただ楽しむ。という純粋な心は大切ですが、
今回は改めて楽しむイベントの中に皆様の開運の学びの一歩になればと思い仏教からみるハロウィンという切り口から皆様にまた違った角度のハロウィンをお伝え出来ればなと思っております。
さて本題にはいりますが、
ハロウィンはそもそもが秋の収穫を祝い悪霊などを追い出す宗教的なお祭りが民間行事になって定着したもの。
各国での違いはあるようですが、日本では仮装など宗教的な意味合いよりも民間行事の意味合いが強いもののようですね。
収穫を祝いながら、先祖の霊が帰ってくる時期にもあたり、先祖の霊を迎えて一緒についてきてしまう悪霊を払うというような事が起源だという事。
日本ではお盆に近いようですね。
そして魔女や精霊に扮した子供達がお菓子を貰いに訪ねてくるというもの。
こうやって尋ねてくる子供の存在を思いお菓子を用意して迎えていたという背景を想像しますと胸が暖かくなる文化になりますね。
さて仏教にも自分ではなくまず人を先に思う利他業という教えがあります。
これはこの世界において他人の利の為に行動や考えを巡らせる事が出来るのは人間だけだと言われています。
しかし今は少し歪んだ利他業が蔓延しつつもあります。
その一つは過剰なサービスの供給でしょう。
お客様は神様という言葉が独り歩きをし過ぎて、
お客様が神には程遠い存在に結果的に進んでしまうことにもなっています。
これはひとえに表面的な利他業であります。
利他業の真の目的というものは、
自分自身つまり利他業を試みる本人がただ目の前の例え小さな事でも、感謝ができる気持ちを持つ事ではないかと思います。
決して私さえ我慢すれば、とか、自分が耐えれば。という考えから生まれるものではありません。
それは即ち貴方が本当に大切に思う相手がただそこに存在するだけで幸せであるという思い。
言葉にする事は簡単ですが実際この感謝に至るのは非常に難しいものです。
難しいからこそ自分が我慢をすれば良いというほう方向に行きやすいのですね。
しかしここで角度を変えて考えてみると、
あなた自身を本当に思う相手が貴方の我慢の上に関係を成立させたいと思うものでしょうか?
ハロウィンのお菓子を貰えなかった精霊の悪戯も可愛い範囲であるからこそ残された文化であって、我慢や無理を強いられる様な文化では語られる事が難しかったでしょう。
利他業から得られる幸せというものは試練でもあり簡単に得られる様なものではありません。
がしかしだからこそ、得られた時には
相手を思いやる事で純粋な感謝が得られる程の状態に自分を落ち着かせる事ができる幸福を手にする事ができるのだと思います。
相手を思いやる事で自分を幸せに向かう事が出来るというのは一つのとても幸せな人間の生き方だと思います。
中々辿り着く境地ではないからこそ、
ハロウィンなどイベントの時に普段何気なく過ごしている
家族・仲間・恋人・自分の周りの人に思う気持ちを渡していきましょう。
その一歩がきっとあなたを真の幸せに気づかせてくれます。






