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占い師のつぶやき|羅門

電話占いウラナ所属の先生達のつぶやきが表示されます。電話占いが当たると評判の高い先生のつぶやきをチェックしましょう。

※トップページの「占い師のつぶやき」の反映には、約1時間かかります。

2026/10/19(月)

皆様、こんにちは。羅門でございます。
西南の方向が良いという易の卦(け)を信じて香港にやってきました。

香港の街の観光を終えて、ホテルのレストランで食後にいただいた綺麗なライチ。
ライチといえば、楊貴妃の大好物として有名です。玄宗皇帝が彼女のために遥か遠方の産地から早馬で運ばせたという逸話は、今でも語り継がれています。

楊貴妃はもともと玄宗皇帝の息子(寿王)の妃でした。しかし、彼女の美貌と抜きんでた音曲・ダンスの才能に魅せられた玄宗皇帝は、彼女を一度道教の寺院で出家させた後、自身の後宮へと招き入れました。当時の後宮には「三千人」もの美女が集められていたと言われますが、芸術家でもあった玄宗皇帝の心を最も深く捉えたのは、彼女の類まれなる音楽のセンスと美しさだったのでしょう。

そのあまりの寵愛ぶりは「国を傾けるほどの美女(傾城傾国)」と称され、やがて時代のうねりとともに「安禄山の乱」が勃発します。長安から逃れる途中の馬嵬坡(ばかいは)で兵士たちの不満が爆発し、玄宗皇帝も楊貴妃を処分せざるを得なくなりました。

しかし一説には、玄宗皇帝は彼女を密かに逃がす決断をし、侍女を身代わりにして楊貴妃を日本へと逃したとも伝えられています。実際に日本には、彼女が漂着したという伝承や、彼女を祀るお寺も残されています。楊貴妃の日本亡命伝説、いわゆる山口県長門市の楊貴妃の里や、京都・泉涌寺(せんにゅうじ)の楊貴妃観音などの伝承。

ご利益は、 「絶世の美女」にちなみ、美人祈願、縁結び、安産のご利益があるとして、特に女性の参拝者から厚い信仰を集めています。

玄宗皇帝との出会いから16年、波乱に満ちた悲しい顛末。
美しく生まれなければ良かったと嘆いたのか、太く短い華やかな人生に満足したのか。

あるいは、現代の女性ならこのような宿命に対してどんな選択をし、運命のはかなさや悲しさをどのように受け入れるのでしょうか。

甘くみずみずしいライチを味わいながら、その甘さの奥にあるちょっぴりとした苦さに、遠い昔に散った絶世の美女の面影を重ねた香港の夜でした。

 

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2026/10/11(日)

皆様、こんにちは。羅門です。
まだ20代の頃の話です。
若気の至りというか、アホと言うか、「自分の将来、どうするんだ」なんて、昔の私は全く何も考えてもいませんでした。
ただボーッと生きて、仕事なんてどうでもよい、という考えですから、就職試験は全てスベり続けていました。

世間では入社式がどうとか、という報道も流れている中で、依然としてブラブラしていました。
日曜の新聞には、求人欄に、ドッと掲載があるので、それを眺めては、あちこちに履歴書を送りつけてはいました。
だが、返ってくるのは不採用の冷たいお返事ばかり。

そんなある日、ついに面接までこぎつけて採用が決まりました。
「やったぜ!」と天にも昇る気持ちで小躍りしましたが、世の中そんなに甘くない。

入ってみたら、そこは絵に描いたような「3K」のドロドロの職場でした。残業は毎月100時間をあっさりオーバー。日曜日も休めず、同僚たちは次々と体を壊して消えていく。そんな過酷な戦場で、なぜか私は10年も踏ん張ってしまったのだから呆れた話です。

で、なんでそんな会社を辞めたかというと、これがまあ、恥ずかしながら大失恋をやってしまったからです。お付き合いしていた彼女は両親に話したけれども、結婚に反対されたと言って泣いていました。

どうしたものかと、ある寺の前に来ると、そこに「愛染明王」が祀られていて、3万回真言を唱えると願いが通ると書かれています。「おお、これぞ、仏様のお導き」と思い、毎日100回真言を唱え、今日で3万回、満願成就の日に、彼女の親御さんに挨拶に行きましたが、見事に撃沈されてしまいました。

「そんな3Kの会社に勤めている男に、大事な娘をやれるか!」というわけです。

まあ、私が親でもそう言うだろうなと妙に納得しつつも、悲しみのどん底で私は一念発起し、「こんな会社、やめてやる」とばかりに、転職を決意しました。
ところが、人生というやつはどこまでも意地が悪いのです。

心機一転して飛び込んだ次の会社は、3Kどころか5K、いや6Kとでも呼ぶべき、輪をかけて酷い泥沼でした。踏んだり蹴ったりとはこのことです。
唯一の救いは、上にいた部長が実にイイ人で、毎晩のように私を飲み屋へ連れ出してくれたことでした。ドロドロの職場の中で、その酒席だけがささやかなパラダイスだったのですが……困ったことに、その部長がまたとんでもない身体でした。なんと血圧が300だの400だのという、いつ頭のネジが飛んで破裂してもおかしくないような、歩く時限爆弾みたいな人だったのです。

その後、彼は家で倒れて入院し、よほど奥様の説得がきつかったようで、ちゃんと薬をのむようになってからは、血圧は下がってきたので一安心。そのかわり夜のお酒はご法度、全面禁止です。私はひとり寂しく居酒屋で飲むしかありませんでした。

まったく、人生はどこへ行っても一筋縄ではいかない。だいたい運命なんて、そんな無茶苦茶な歯車の組み合わせみたいなものなんだということを思い知らされたものです。

夜の繁華街の一角で、「占い」と垂れ幕のかかった小さな机で、ひとりの易の先生が座っているのを見つけて、将来を占ってもらいました。そこで出た卦(け)が、水山蹇(すいざんけん)でした。この卦は、「四大難卦」のひとつ、「残念ながら、何事もアキラメてください」
ただ、「西南によろし」と言うので、とにかく西南方向をめざすしかありません。思いついたのは、香港か台湾だろうと当たりをつけて、アルバイトで稼いだ金で香港へ。その話は、また次回へ。

 

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2026/10/09(金)

古いお話で恐縮ですが、「拝み屋さん」という神様の言葉を伝えるお婆さんが、昭和の初期にいました。今回は、私の祖母の話です。

日中戦争(1937年の盧溝橋事件以降)が勃発すると、日本では国家神道以外の宗教活動や民間信仰、特に「戦況や出征兵士の安否占定」に対する取り締まりが極めて厳しくなりました。警察(特高警察など)の監視の目があったため、人々は公には聞けず、夜陰に紛れるようにして「よく当たる」と評判の拝み屋さんの元へこっそり通っていました。

祖父は、軍に召集されて、中国の河北省の「石家庄」(せっかそう)に派兵命令が出ました。
「石家荘」は、当時の日本軍(北支那派遣軍)にとって非常に重要な交通の要衝・拠点でした。そしてこの地域を中心に展開し、日本軍に対して執拗な遊撃戦(ゲリラ戦)を仕掛けていたのが、まさに「八路軍(中国共産党率いる国民革命軍第八路軍)」です。夜間の突然の襲撃や奇襲は現地で頻発していました。

祖母はある晩、胸騒ぎがして、一睡もできませんでした。「何かあったに違いない」そう思っても、当時は軍の機密は知ることができませんでした。そこで、こっそりと「拝み屋さん」の所に行ったのです。

「拝み屋さん」に着くと、待合室といっても粗末な畳の部屋で。夫や息子の安否を心配する女性でいっぱいになっていました。ようやく祖母の番になり、拝み屋のお婆さんは、祈り始めました。お婆さんは、一生懸命祈りました。額には汗がにじみ出て、唸り声はますます大きくなりましたが、神様のお告げがありません。お婆さんは、祖母の方に振り返り、「あんたが私を信じてくれないから、神様が降りてきてくれないので、どうか信じて祈ってほしい」と言いました。

祖母は自分の心を見透かされ驚いてしまいました。今度は、心をこめて祈りました。すると、不思議な事に合わせた手が離れなくなりました。祖母は、恐ろしくなり、「神様、どうかお願いします」と一心不乱に祈ったのです。

すると、拝み屋のお婆さんの声の調子が変わり、「鉄砲の玉が飛んでくるー、玉が飛んでくるー」と叫び始めたのでした。本当に祖父が叫んでいるように聞こえました。そして、拝み屋のお婆さんは言いました。「大丈夫だよ。あんたの夫は生きている」それを聞いて祖母は安心したものの本当に生きているのか心配で手紙を書きました。

祖父は、その後、北京に到着し、祖母の手紙を受け取り、返事を書きました。やはり本当に「石家庄」で襲撃を受け、危なかったという事が事実であったということが分かりました。

時代は変わっても、大切な人を心から思う愛の強さ、そして目に見えない心の繋がりが、直感として「胸騒ぎ」となる不思議さは、今も変わりません。

「あの人は今、何を思っているだろう」「この先、ふたりはどうなっていくのだろう」不安で胸が押しつぶされそうになり、暗闇の中で途方に暮れてしまう夜は、どなたにもあり得ることです。

愛するが故に苦しみ、恋するが故に悩み、それは尊く清い心を持っているからです。
どうにもならない不安や胸騒ぎをかかえきれなくなった時は、どうぞ羅門にお話しください。

 

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2026/10/07(水)

皆様、こんにちは。今回は、私の若い頃のお話です。1985年頃、私はイラクのバグダッドに滞在していました。

宿はチグリス川沿いのシェラトンホテルでした。古代メソポタミア文明の発祥地に立っていると思うと、言葉にできない感慨がこみ上げたものです。

当時のバグダッドは、お酒すら禁じられていた隣国イランとは異なり、夜のキャバレーではイギリスから来た踊り子たちがラインダンスを踊り、人々はお酒を楽しんでいました。ただし、地元の「イラキビール」はお世辞にも美味とは言えず「水道の水よりはマシ」という程度の味。その水道水も白い砂が混じるため、飲み水には適しませんでした。

朝起きて靴を履くときは、まずサソリが入っていないか確認する毎日。
一方、ホテルのラウンジには軍の高官の娘と思われる華やかな若い女性たちが集っていましたが、迂闊に声をかけることなど到底できない、独特の緊張感が漂っていました。

ある日、バグダッドのメインストリート(ラシード通り)を歩きました。
賑やかな店並みには美しいペルシャ絨毯なども並んでいましたが、私が買った着替えのワイシャツは、隣国ヨルダン製のものでした。

また、ある時は現地の物流を手配していたドイツ人の知人にベンツを出してもらい、バグダッド郊外(約10kmほど)の石油施へ向かいました。途中で猛烈な砂嵐に遭い、車ごと砂に埋もれそうになりながら、命からがら辿り着いたのも忘れられない思い出です。

夜のレストランで、白いアラビア衣装(トーブ)に金色の頭ひも(イカール)を付けた、まるで王子様のような厳かな男性が入ってきた時のあのピンと張り詰めた空気感は、今でも肌が覚えています。

そして、現地で聞いた忘れられない話があります。
ある日本の大手商社マンが、現地で雇ったイラク人女性と深い関係になりました。任期が明け、日本の家族の元へ帰るべくバグダッド空港から飛行機が飛び立つ直前、警察がやってきて彼は拘束されてしまったのです。

別れを惜しんだ彼女が警察に訴えたためでした。当時の厳しいお国柄、関係を持った以上は結婚しなければなりません。彼は泣く泣く日本の妻と離婚し、その後バグダッドに留まって一生を過ごしたそうです。

──人生には、予期せぬ選択や、運命の大きな波が突然やってくることがあります。

あのバグダッドの砂嵐のように、先が見えなくなる瞬間もあるでしょう。
今、道に迷っている方がいれば、どうぞ私にその胸の内をお聞かせくださいね。

 

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2026/09/30(水)

霊界を見たという人が西洋にいます。スウェーデンボルグという人です。彼の著書を読んだ方もいらっしゃると思います。彼が見た霊界は、仏教でいう八大地獄とはだいぶ違いがあります。針の山や火炎地獄はありません。もし日本の地獄めぐりツアーがあったとしても参加は遠慮したいものですね。
仏教では、「念仏を唱えると極楽にいける」と言うので、私も毎日唱えています。そのせいか、最近、あの世にいる友人が夢によく出てくるようになりました。
「早くこっちに来い」とでも言われるのかと思ったら、開口一番、「マグロの刺身が食いたい」と言うのです。
なぜかと聞くと、あの世では俗世の楽しみは味わえないのだとか。案外、不満や不便もあるようですね。
どうやら、この世の美味しいものや楽しみは、生きているうちにしっかりと味わっておいた方が良さそうです。
今日のあなたの心は、何を楽しみたいとつぶやいていますか?
いやいや苦しいことばかり、楽しいことなんかありませんよ。
そんな時はお電話をお待ちしております。

 

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2026/09/17(木)

羅門でございます。本日は、午後4時から6時まで、午後9時から0時まで、待機を致しますので、どうぞ宜しくお願いいたします。

 

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