2026/10/09(金)
古いお話で恐縮ですが、「拝み屋さん」という神様の言葉を伝えるお婆さんが、昭和の初期にいました。今回は、私の祖母の話です。
日中戦争(1937年の盧溝橋事件以降)が勃発すると、日本では国家神道以外の宗教活動や民間信仰、特に「戦況や出征兵士の安否占定」に対する取り締まりが極めて厳しくなりました。警察(特高警察など)の監視の目があったため、人々は公には聞けず、夜陰に紛れるようにして「よく当たる」と評判の拝み屋さんの元へこっそり通っていました。
祖父は、軍に召集されて、中国の河北省の「石家庄」(せっかそう)に派兵命令が出ました。
「石家荘」は、当時の日本軍(北支那派遣軍)にとって非常に重要な交通の要衝・拠点でした。そしてこの地域を中心に展開し、日本軍に対して執拗な遊撃戦(ゲリラ戦)を仕掛けていたのが、まさに「八路軍(中国共産党率いる国民革命軍第八路軍)」です。夜間の突然の襲撃や奇襲は現地で頻発していました。
祖母はある晩、胸騒ぎがして、一睡もできませんでした。「何かあったに違いない」そう思っても、当時は軍の機密は知ることができませんでした。そこで、こっそりと「拝み屋さん」の所に行ったのです。
「拝み屋さん」に着くと、待合室といっても粗末な畳の部屋で。夫や息子の安否を心配する女性でいっぱいになっていました。ようやく祖母の番になり、拝み屋のお婆さんは、祈り始めました。お婆さんは、一生懸命祈りました。額には汗がにじみ出て、唸り声はますます大きくなりましたが、神様のお告げがありません。お婆さんは、祖母の方に振り返り、「あんたが私を信じてくれないから、神様が降りてきてくれないので、どうか信じて祈ってほしい」と言いました。
祖母は自分の心を見透かされ驚いてしまいました。今度は、心をこめて祈りました。すると、不思議な事に合わせた手が離れなくなりました。祖母は、恐ろしくなり、「神様、どうかお願いします」と一心不乱に祈ったのです。
すると、拝み屋のお婆さんの声の調子が変わり、「鉄砲の玉が飛んでくるー、玉が飛んでくるー」と叫び始めたのでした。本当に祖父が叫んでいるように聞こえました。そして、拝み屋のお婆さんは言いました。「大丈夫だよ。あんたの夫は生きている」それを聞いて祖母は安心したものの本当に生きているのか心配で手紙を書きました。
祖父は、その後、北京に到着し、祖母の手紙を受け取り、返事を書きました。やはり本当に「石家庄」で襲撃を受け、危なかったという事が事実であったということが分かりました。
時代は変わっても、大切な人を心から思う愛の強さ、そして目に見えない心の繋がりが、直感として「胸騒ぎ」となる不思議さは、今も変わりません。
「あの人は今、何を思っているだろう」「この先、ふたりはどうなっていくのだろう」不安で胸が押しつぶされそうになり、暗闇の中で途方に暮れてしまう夜は、どなたにもあり得ることです。
愛するが故に苦しみ、恋するが故に悩み、それは尊く清い心を持っているからです。
どうにもならない不安や胸騒ぎをかかえきれなくなった時は、どうぞ羅門にお話しください。
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