2026/11/06(金)
皆様、こんにちは。羅門でございます。
世間ではよく「運の良し悪し」を口にしますが、人生というものは時に、どうにもこうにも万策が尽き、逃げ場のない袋小路へ追い詰められる時期が、必ずあるものです。
何を隠そう、私自身も若い頃は失敗のグランドスラムを達成したような悲劇のヒーローと気取っていたかもしれません。他人の幸せそうな顔を見るのが嫌で嫌で、「なぜ自分だけが」と終わった過去をウジウジ反芻しては落ち込んでいたものです。
後悔なんて何の得にもならんと知っていながら、やめられない。人間というのは実に業の深い生き物なので、宇宙人が見たら、実に興味深い地球の生命体と言うかもしれません。
不運が続いたある時、背中に突然、ゾクッと来ました。これは、もしや、得体の知れない何かが憑いているのではないかと疑い、鏡を覗き込めば、そこには私の顔が、げっそりとやつれた表情が・・・私の後ろには、ぼんやりとした黒い霧のようなものが。案の定、「貧乏神だあ!」、胃痛、肩こり、腰痛と、体の不調もフルコース。
これはいかんと一発逆転を狙い、マーフィやナポレオン・ヒルといった高尚な成功法則本を買い込んだ。 鏡に向かって「俺は運が良い!」と自己暗示をかけてみたが、悲しいかな、私の潜在意識は筋金入りのあまのじゃくだ。奇跡どころか事態は順調に悪化し、高価な成功本は部屋の片隅で静かにホコリをかぶる古本の山となりました。
「前向きになれば運が開けるなど、大嘘じゃないか」 半ばヤケクソになっていたある夜のことです。天から、妙に冷徹な声が響いてきました。
『おい、いい加減にしろ。これがお前の運命だ。逃げられると思うな。浮ついた夢はどぶに捨てて、生きているだけでも儲けものだと思え』
天からの声は、実に容赦のない一言でした。
だが、私はその時、深く思いました。
「そうか、ジタバタしても始まらない。私は、まな板の鯉なんだあ!と叫びました。そう肚を括った瞬間から、気持ちが楽になりました。
無理に明るい顔をする必要もない。奇跡なんて期待せず、この冴えない現実と天命を丸ごと引き受けて、まな板の上でドスンと居直って生きればいい。 背中の貧乏神とも戦わず、「やあ、今日も居るね。まあ一杯飲んでいきなさい」と横に座らせておけばいいのだ。貧乏神の話によると、自分は、もとは古代インドの大般涅槃経に記された黒闇天(こくあんてん)と言い、妹が吉祥天(きっしょうてん)なので、貧乏だけがもたらされるのではなく、後から幸福もいっしょに来るんだと言います。
私は、それを聞いて安心しました。「そうなのか、それならもっと飲みなさい」と酒を勧めました。
人生のからくりは実に面白い。幸せを追い求めて大騒ぎしている時よりも、腹をくくって「まな板の鯉」になった時の方が、ふっと肩の荷が下りる。
もし今、あなたが前向きになれない自分を責め、開運本を何冊読んでも救われずに疲れ果てているなら……どうぞ、そのままの姿で私のもとへお越しください。無理に笑う必要も、反省する必要もありません。膝を突き合わせ、人生の裏表を静かに語り明かしましょう。
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2026/11/06(金)
本日もご縁をいただき、
心よりありがとうございました。
私たちは、一人ひとり
別々の存在のように見えます。
でも、その奥では、
すべての命がつながり、
もともとは一つなのかもしれません。
神様は遠くにいるのではなく、
自分の内にも、誰かの内にも、
すべての命の中にも宿っている。
私は、そんなふうに感じています。
感謝とは、
自分が大きな愛の中で
生かされていることを思い出す心。
すべてを好きになる必要はありません。
ただ、命のつながりに心を向けた時、
そこに静かな愛を感じることがあります。
神様を探す旅は、
自分の内にある愛を思い出す旅なのかもしれません。
本日もご縁をありがとうございます。
愛と光と感謝を込めて
藍那
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