2019/07/14(日)
戦後、女性は憲法の上では平等になりましたが、社会的には偏見や性差別慣習が根強くのこっていました。女性の社会進出における、戦後の決定的な転換点は「国際女性年」である1975年頃と言われています。この時期は「専業主婦から兼業主婦の時代へ」と特徴付けられています。
日本における女性の労働力率は1975年を境に上昇し、それは主に、既婚女性がパート雇用として労働し始めたことに起因しています。ですが、このパート雇用の労働形態が影響して、日本における男女の賃金格差は先進工業国の中では最大となっています。
西欧では現在、結婚退職、子育て後の再就職という典型的なパターンをほとんどとっていないことからもわかるように、労働市場の他にも広範に見られる「性役割分担」は現代では日本独特の文化となりつつあります。
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2019/07/13(土)
風景は目ではなく魂で見ています。そのために、思考や思惑は天気に大きな影響を与えます。よく晴女、雨男と言われ、ある人が出かける時は殆ど晴れになる、また違う人の場合は雨になるという現象がありますが、それは、その人が普段抱いている思考、または背負っているものの影響に他なりません。
悪事をはたらいた人が、「うまくやれた、よかった」などと思っていたとしても、傷つけた人の悲しみや苦しみは、その人自身が目に見えない負債として背負うことになるのです。そしてそれは年を取るごとに、その人の表情に現れてきて、いわゆる「悪人顔」を形成していきます。
年を取るごとに醜くなる人と魅力的になる人の違いは、その生き方の証明でもあります。
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2019/07/12(金)
明治民法が女性の権限を制限した理由として、フランスおよびドイツの民法の影響が挙げられます。その原案はフランス人とドイツ人がそれぞれ起案し、議論の後、ドイツ民法を基に日本国憲法が作られました。ドイツ民法は自由、平等を説いてはいましたが、それは男性に対してのみであり、女性の権利は著しく制限されていたのです。
この価値観は、基本的に男性優位の宗教であるキリスト教に大きく依存しています。人間の平等を強調したルソーにとっても、平等なのは市民社会と公権力を構成する男性間の平等に過ぎず、資本主義経済の成立過程で自由・平等な個人として生きる「市民」とは男性のことでした。女性はその男性を家族内部で支える貞淑な妻という位置づけでしかありませんでした。
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