第九弾は、宇宙から授かった霊感を用いて、恋愛とより良い未来を築くためのサポートをしている藍(あい)先生へ、インタビューさせていただきました。
明るく!自然体!いつでも前向きな鑑定で、可能性を導き出してくださる、そんな藍先生の知られざるエピソードや、日頃のリラックス方法などをお話しいただきます。
それでは、早速参りましょう!
「電話鑑定ですと、お昼をメインに鑑定していただいておりますので、依頼の時間がなかなか合わないという方にも、藍先生の鑑定の魅力について知っていただけたらと思います。藍先生、本日はお時間をいただきありがとうございます、どうぞよろしくお願い致します。」
「どうぞ、よろしくお願いします。占いと、僧侶としての顔を持つ、鑑定師の藍と申します。
普段は霊感霊視と、補足でタロットカードや易など用いたりしたながら鑑定しています。ウラナの所属歴は確か、かれこれ7年ほどになるんですかね。実は結構長かったりします。」
「藍先生、お客様からは「お声に元気がある」というご意見も、よくお伺いしておりまして、藍先生に対して全体的に明るい雰囲気を受けているお客様が多いのですが、本当にその通りですね。お話しをしているだけで、藍先生の元気を分けていただき心が前向きになっていくような気がします。」
「基本的に人生は勿論ですが、人と過ごすなら“少しでも明るく前向きに行きたい!”という気持ちがモットーなんです。
“明るさ”や“苦しさ”とか、基本的に感情って伝染する様な働きがあり、“気が動く”という事があると思うので、とにかくお客様に“明るさや、元気を届けられる存在”でありたいというのは、すごく意識しているんですよね。昔から、ご近所さんなどにも明るさで覚えられる様なタイプでした。だから元々の性格もあるのかもしれませんね。なので、無駄に元気がよすぎたらすみません。ただ鑑定するだけでなく、悩んでいる方に明るさや元気を届けたいと思い、明るさをモットーに鑑定師をしています。」
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「鑑定師になったエピソードを教えてください」
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「私はマイバースデー世代で、毎日の占いカレンダーのチェックは勿論日課でした。
今振り返ると小学生時代から、マンガの付録のタロットカード持ち歩いてクラスメイトを占ったり、ダウジングしたり、俗にいうクラスに一人はいるようなオカルト少女系という感じの子供でしたね。なので、鑑定師になった事を昔ながらの友人に相談したら「すごーい!小さい時の夢叶ったねー!」って、喜んでもらったことがあります。なので、タロットカード歴は小学3年生からなので、実はかなりの経験があるんです。
当時は、クラスメイトが机の前に順番で並んでくれて、鑑定を待っていてくれてました。ありがたい思い出ですよね。ですから、当時クラスの子とか、他クラスの子の好きな子事情を全部知っててました。「やっぱあの子は、誰が好きなの?」とか「あの子もしかしてライバル?」みたいな事も聞かれたことがあるんですよ。でもそれを、絶対に明かさないし、言うことはありませんでした。今で言う、どんな事があっても相談者の内容は明かさないみたいな、守秘義務を守ると言うのが当時でもありましたよね。
「こっそり教えてよ」と言われても、「それは出来ません!」という感じでお断りをしてました。」
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「僧侶になったエピソード」
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「占いの鑑定師と僧侶に関しては全く別でした。実は母方の祖母が僧侶で、在家得度という風に、出家はせず普段は普通に生活しながら仏教の教えを勉強しているという様な祖母で、今振り返ると私もすごく影響を受けたんです。昼間は遊びにも行きつつ。
しっかり煩悩にまみれ終えたら、夜は白装束の衣装を縫い付けて、自分の御本尊とご先祖さまに手を合わせ、夏休みとか長期のお休みは高野山などのお遍路参りに、しょっちゅう連れて行ってくれたんですよね。
この祖母の家系がいわゆる、おがみ屋さんなどを生業にしていた感じで、昔は今ほどネットワークが広くないので、赤ちゃんを育てるのにお乳が出ない方が訪ねてきたりだとか、闘病平癒で頼ってきたりというように、ご近所さんから遠方の方まで、話を聞きつけていらっしゃる事があったみたいです。
だからなのか「高い意識で僧侶を目指した!」みたいなものではなく、あくまでも身近に自然にあった、生まれた家の家業みたいな感じでした。母も過敏体質で、母が金縛りにあった翌日に、電話で親戚が亡くなった事を知らされたりと、当時はそんな事が頻繁にありましたね。
こういうことをお話しすると、あまりご経験がない方や、そういった経験がある方が周りにいないと、凄い怖い経験に感じますよね。ただ当時、私の姉が「霊とか占いとか、そういうオカルト的な事は非科学的!」みたいな考えだったんで、私の中にも頻繁に金縛りで苦しんでる母と、非科学的はの姉との間ですごく中立的な状態にありました。金縛りとかあるだろうけど、非科学的ですよね。という感じで、曖昧な事考えていましたね。科学的と非科学的なものの見方の双方の良い所どりの、良い意味で曖昧な考え方と言ったら良いかもしれませんね。」
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「お客様から寄せられるお悩みで、多いご相談は?」
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「そうですね、やっぱり一番多いのは相談しにくい不倫であったり、復縁であったり、中々人に打ち明けにくい内容が多いかな。他には片想いとか恋愛のご相談が多いですね。
そういう“本当に悩んで苦しい!”とか“誰にも打ち明けられない!”みたいに切羽詰まって苦しんでいる方が多いというのも、少しでも明るく前向きに受け止めることで、何かしら相談者さんへ良い影響にならないかな、と思っています。それが、私自身が“明るさ”を心掛ける一つの理由なんですよね。“悩み”って暗く捉えようと思うと、どこまでも暗く捉えられるじゃないですか、ですからまずは自分から明るさを発信できるよう気を付けています。
こう言っては何ですが、誰も好きこのんで悩む方はやはりいないと思うので。誰かに相談したとしても「やめれば」とか「それだからだめなんだよ!」みたいに言われてしまって、更に傷つくこともあるんですよね。
どうしても不倫とかは、今メディアでも鬼の首を取る!様なの騒ぎになったりしているのをよく見ますね。そして「友達に不倫相談したけれど、そうしたら開口一番“辞めなよ!”だった」というお話しも、よく聞きます。
確かに“断固反対!”の方からすると、私のような考えは“肯定派!”に属しちゃうのかもしれないですね。でも単純に肯定しているわけではないのです。
Instagramなどをみていても、“され妻さん”みたいな感じで不倫に巻き込まれた方の話を見ていると凄く胸は痛みます。ただ比較的長く鑑定師をしていると、本来“不倫反対派!断固拒否!”という方が、不倫に陥ってしまうみたいな事って実は珍しくはないんですよね。
そういうケースを見ていると“安易に反対!ダメ!”みたいに言ってしまうのがどうなのかなと思います。
いけない事は、いけない。だけど、「いけない!辞めるべき!」と責めるだけで解決しない。むしろ批判していた方が不倫に陥ってくこともある中で、問題解決しようと思えば思う程、批判で解決する問題は、ほぼ無いという所に行きついた感じですかね。
シンプルに「不倫やめろ!」と言って、「はい解決」、、とはならないということですね。勿論、責めてしまう方の気持ちも理解できなくはないですけど、それで「はい、そうですか。」とは、やはりならないですよね。反対されると逆に燃えあがっちゃうこともあるんです。
だから“否定”も“肯定”もしない。けど、まずは話を聞いて実際相談者さんの頭の中でも「何をどうしたらいいの!この先何がどうなるの!こんなダメな事は、本当はしたくないのに!」とか混乱状態で、パニック状態なので「よし!一個づつ整理していきましょう!」みたいに、心強く存在しているのが鑑定師さんであっていいのかなという風には思いますよね。そういうのを受け止めていけてこそ鑑定師というように考えています。
だって、ご相談者様はご自分ではどうしたら良いか分からないところまできていて、更に自分の事も責める気持ちがあって、ご相談にやってきているんですもんね。」
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「藍先生の優しさの秘訣とそこに至ったご経験を教えてください」
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「そこはやっぱり師匠の影響がすごく大きいんですよね。あんなに一生懸命相談者に親身になっている人はいないな、ていう私の鑑定師人生に多大な影響を与えて貰いましたね。
鑑定師さんには、相手の話を親身にしっかり耳を傾けるという、ある種カウンセラーのような側面があると思うのですが、これが簡単そうで実に難しいかなと。どうしても自分の正義で相談内容を捉えてしまうのが人間だし、批判精神が出てしまうし。倫理的にも話だけで「やめなさい!」と言いたくはなるだろうし。何も言わずにカウンセラーの様に、ただふんふん聞くだけだと「聞いてもらえた!」という満足はあっても占いで問題解決は何もできない。そういう所を師匠はカウンセラーの様に真剣に話を聞いて、かつプロの鑑定師としてアドバイスを導き出す。それが常にある自分の理想の鑑定師像にはなっていますよね。まだまだ到達するには遠い道のりですが。
でも、しっかり話を聞いて自分の正義で批判せず、どうしたら解決出来るか一緒に考えるということを鑑定師だからこそやっていきたいですよね。」
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「勉強になった不倫の相談はありますか?」
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「うーん、どれも凄く深くて甲乙つけがたいですが、賛否あるかもしれませんが、不倫関係で男性側のお子さんが応援してる様なケースがありましたね。
その男性が病気になって奥さんの手前、会えなくなってしまった時に率先してお子さんが母親にバレない様に男性と女性の間で段取りをとって会える様に手配すると言うケースでした。
非常に珍しいかもしれませんがお子さん自ら理解を示す様な事もあるんだなーと。達観した見方ですが、子供から見て病気で弱ったお父さんを支えられるのは母では無いという事を良い意味で悟った様な感じだったんですよね。それを側から見てると“不倫=悪!”みたいに、やはりそれだけで裁く事はできないなと感じました。そこに至るまで、もの凄く葛藤はあったかもしれないし、私も“不倫=悪!”みたいに思っていると聞けなかった話かもしれません。
やっぱり“子供を巻き込むなんて!”みたいな意見が当然ですよね。その目線で見る事は、なにもおかしくはないんです。勿論批判は承知の上でですが、けれどもあえて、そんな事もあるんだなー!と受け止めてみるんです。
確かに“断固反対!”の人もいれば“当人同士の問題!”という方も少なくはないんです。人間ゆえに答えが一つではない、という所でしょうか。」
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「復縁のご相談への取り組みと、手放しについて」
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「もう一つ多いのが、復縁のご相談が多いので、お話しさせていただきますね。
最近は“執着=いけないこと”という定義を持っている方が多くて、そうなってくると「復縁したい。でも執着する自分は嫌い、そんな自分を何とかしたい。」みたいな方が多い様に感じます。復縁したい事でも悩むし、執着する自分でも悩むみたいな。でもよくよく考えてほしいのですが「執着って、そんな自分を否定しないといけない程ダメな事なのか?」とは思いますよね。
だって“執着心”がなくなってしまったら、恋愛も友情も家族の関係もどんどん希薄になっていく。特に恋愛関係なんて執着心が沸く程、好きという感情があるから特別になる訳で、でなかったらわざわざ特別感のない付き合いに何か意味があるかな?と思うんです。
そこを何故か何かの受け売りみたいに「いけない!いけない!」で止まってしまってる方が多いように感じます。
巷でも執着を“手放す”とか、“心の折り合いをつける”“無心に”“気持ちの断捨離”のような書籍は沢山あるので、その考え方自体を目にする機会も多いのだと思います。
でも「出来るならとっくにやってるっつーの!」って、思いますよね。手放せるなら、それに越したことないかもしれませんが、それはなかなか難しい事なんです。
仏教では“その執着を手放す”という事をよく解かれていますが、そもそもそこに至るブッダが、家族も、家も何もかも捨て厳しい修行を超えまくって、ぼろぼろになる境地に至り相当な月日をかけて、ようやく悟った境地。。。。とくるので、かなり意味人間離れしすぎてますよね。
そもそも人間には“執着心”を捨てるって、それ自体がかなりハードルが高くて簡単に出来る事ではない。でも執着心もいい形で共存している方もいれば、相手も自分も追い込んでしまう形で共存している方もいるんです。だったら“復縁を目指す上で”とか“復縁をきっかけに自分を苦しめる執着から、自分を成長させてくれるような執着心に変化させていく”という風なものになったら違うのかな?とか。
そこを相談者さん一人で何とかしようと思うと、どうしたらよいかわからない。そんな時に鑑定で、無理に執着を無くすではなく“共存して復縁が目指せれば”とは常々考えるんですよね。“好き”と“執着”って表裏一体なので切り離すが実は相当難しいですよね。
これは片思いや恋愛全般にも繋がるかもしれませんね。片思いをする事で“見た目もとても可愛くなり、なんだか生き生きしている!”というような、良い科学反応をなさっている方もいれば“上手くいかないかもしれない。ダメかもしれない。”というように、すごくネガティブになってしまう方もいらっしゃいますよね。
自らを、追い詰めてしまうほどの気持ちになってしまっているのなら、鑑定で少し前を向けるような形に変化することが出来るとなったり、悩みから解放されるとか、その人自身の生き方などにも、すごく良い影響になると思うんです。
日々いろいろなご相談をいただく中で、鑑定することで良い方向になったケースをご紹介しますね。良い方向になることは実際に、よくあるんですが「執着する事がダメなんです!」と言われる方に「なんでダメなんですか?」って聞くと「・・・・」みたいにフリーズする方って結構いるんですよね。そう言われたらなんでだっけ??みたいになるんです。
実は何故「ダメダメ」って思ってるのか、自分もわかっていないので“執着=ダメ!”というだけの定義を持ってる方が多い印象です。
そこで「逆に執着を手放すのって難しくないですか?」みたいなお話しを度々します。きっと“執着を手放せ!”みたいな内容を見る事が多いから“執着=悪”が出来てしまうんだと思うんですよね。
執着を無くすんではなく、現在の自分と相手を追い込んでしまう様な執着を変化させて、相手も自分も幸せにする執着に変化していくことで、上手く行く様になった方って結構実はいらっしゃるんですよね。
よく例え話にあげるんですが「ダイエットしたい!だからお菓子は全面禁止!間食一切タブー!朝は仕事前に早起きして徹底した運動して、夜は厳選した食事管理!」みたいに自分を締め付けていくのと「普段忙しいから負担にならないよう運動はできる範囲で強制しない。そのかわり食事時間と内容はなるべく気を使い、週一のご褒美はあえて用意してモチベーションを下げずに、休みの日に頑張れる運動は前向きにやる。」みたいに、同じ痩せる事を目指してても、自分を締め付けるほどの内容とそうではない内容と、随分過程が違いますよね。
本来後者が理想的ですが、不安が強かったりするとどうしても自分と相手を締め付ける物になる。それはやっぱり恋愛で置き換えると相手も自分も苦しい。だから、どうやって心地よく目指すかに切り替えるかが大切なんですよね。
これは、恋愛でも言えることなんです。人間だし、不安が強いとそうなってしまうのですが、恋愛を上手くいかせる事しか考えられない状態だと、逆に相手も自分のハードルも知らず知らずのうちに上がってしまうんですよ。
相談者さんが、もうどうにもならない!みたいになってしまうのは、仕方がない事なんですが、だからこそ鑑定師さんは“本当にそうか?”みたいな視点をもって挑みたいですよね。
「どうにもならない!とは言い切れない!」みたいな。最近の人気芸人さんの突っ込み見たくなっちゃうんですけど。「どうにもならない!彼と連絡つかない!ブロックされた!一方的に振られた」と、絶望的な状況だと思ったけど、どうにかなったという風な突破口を一緒に見つけるようなつもりの鑑定で、よい意味で突っ込んで行きたいなーと、いつも考えています。
やっぱり占いを利用しようという時って、何かしら迷いとかうまくいかないという事があって、自分ではもうどうしようも出来ないと考えていたりするんですよね。それこそ困った時の神頼み的な気持ちで利用するという方って多いと思うので「どうにもならないかも!とは言わせない!」みたいに感じて、鑑定に向き合っています。
私自身、今でも日々占いに助けられていて、基本的に人生のほとんどの事は占いで決めています!この立場になった宿命というか、もうある意味人体実験のような感じです。
でも自分の願ったような結果にならない事も多々です。それでああ、無理かも。ああこれはダメかも(最近は少なくなってはきましたが)という、思考になってしまう事も勿論あります。でもだからこそ「じゃどうすれば?どんなふうに進めるといいか?」みたいに、「ダメでもなんとか出来ないか?」みたいな視点で見るんです。そうすると全く突破口がないかとなるとそんな事はないんです。出来る事は場合によってはある。そうなってくるとすごく上手くとは言い切れないけど、頑張る価値はある!可能性がある!となるんです。
針の穴を指すような小さな事が積み重なって、幸せに気づくような事もあるんですよね。理想論かもしれないけど、そんな風な鑑定を提供していければいいなと。だって不安に駆られる様な問題ではなかったら、そもそも悩まないですよね。」
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「普段の占いの活用方法や心がけている事や、
占いに僧侶として何か融合するみたいな事はありますか?」-
「基本的に占いは、九星気学をずーとコツコツと勉強していて、そこからその月の天地の運行なりを毎月みていて、あとは10年近く毎日その日一日をタロットで引いてそれを1日の初めにノートに書く。でその日の終わりに振り返る。易も朝みてよる振り返る。
そうすると研ぎ澄まされるというか、自分なりの運勢なり、今日は〇〇な1日になりそうだなーとかが、すっと見えるようになってくるんですよね!!
あと占いでの最大の開運方だと思いますが、方位学も常に学んでいて全部が全部は難しいですが、良い方位を選択する様にしています。たまーに、あえてめちゃくちゃ悪い方に行く事もあります。
私の場合、皆さんと少し違うのが、どこか研究的な目線なのでこれでもか!って位に悪いカードと易の結果がでたらあえてそっちを選択して検証!みたいな事もします。
それで悪いやめておいた方がよい。みたいな選択をあえて検証する事で“何故やめておいた方がよいのか?”“どうしてなのか?”など、ただやめておいた方がよい、だけでなく“何故?”がちゃんと伝えられるようにする事は常々心がけてはいます。“その何故なのか?”は相談する身からすると、とても重要なんです。
次に、占いに僧侶として何か融合するみたいな事はあるかというご質問ですが、普段は密教のお勉強をしているのですが、私が信仰しているのは、何処かにお祀りされている様な神様を信仰するのではなく、自分を日々守って下さっている自分だけの守護神様に対して信仰していくという様な内容なんです。何処かのお寺さんに祀られている、ではなく自分の後ろで見守ってくださっているご縁の深い神様・仏様を信仰するというもので、その守護神のバックアップで日々鑑定を頑張っていけています。
毎日お神酒をあげて、1日謹行、お経を上げるなどを行う事で、迷った時、人生の大きな選択(例えば家を買うとか、お墓問題、とか転職などなど)は必ず御神託という神様にお伺いを立てるという儀式を行なって信託を受けるんですよね。
その様な状態で、日々鑑定に挑む事が私の中のルーティンといいますか、良い意味でカードや易を、神託という霊感とか霊視的な力を通じて鑑定しています。その理想の状態を高める為に日々信仰をしているんですよね。そうすると自ずと、まずは自分が占いを用いて幸せに近づこう。満たされようという心境に最近辿り着いてきました。
自分が満たされているかという事は、とても大切なんです。特に鑑定師は、相手の苦しみとか悲しみを受け止める事ができる度量がないと難しいんですよね。
これは、もうずーっと私の鑑定師人生の最重要課題ですよね。相手の気持ちを受け止める為、自分の状態にベストを尽くす事を心がけています。やっぱり人間なので、余裕をなくす事や、辛くなる時もありますが。年々その辺を上手く消化して良い鑑定を提供出来るようにはなれてはきたかなーーと思いはしています。
あまり“絶対にベストでなければならない!”という所まで凝り固まってしまっても、それはそれで不自然ですが“どうやったら自然体でいるか”というところは常に心がけていて、
その究極を試行錯誤して、考えに考え抜いて、最終的に行き着いた結果が自分がまずは満たされる事。それが、とにかく自然の中に自らの身を置く!なんですよね。究極言うと、山にこもって修行するという感じです。実は私の師匠は山伏でもあるので、山伏として入山するのが最初のきっかけだったんですが、それはもう今までに行ってきたどんな浄化作用よりも得られるものがあって。すっごい何もかもが軽くて、なにこれ!!驚き!という感覚になります。
それ以来、定期的に自然の中に身を置くようにしています。
あまり本格的な山伏の格好をすると一緒に入山する仲間を驚かせてしまうので、格好としては登山スタイルで入山しますが、定期的に霊山と言われる所に向かう様にしています。
そうすると美味しい空気が体を巡り、良い気が体を包み、毒素が抜けて、睡眠の質も上がって、鑑定の精度も恐ろしく変わることに気がついたんです。
以来、実はよく入山するようにしているんですよね。もしかしたら登山などされる方は実はすれ違っていたなどあるかもしれませんね。これこそ、「ただ生きてるだけでいいんだ!」みたいに自分が満たされる感覚があります。
山へは、師匠とも行きますし、入山仲間が複数人いてタイミングが合ったら一緒にですね。
こんな事いうのもなんですが、虫と蛇がどうあがいても苦手なので、その辺り得意としてくれる人を積極的に選んでいます。
私の元気の源はこういったところにあります。やっぱり良いものを提供したいとなると、良い鑑定が提供できる自分でいたい。そうなれば、自ずと“良い鑑定が提供できる自分になるにはどうしたら良いか?”から始まって、行き着いたのが入山なんですよね。
それまでは、パワーストーンとかヨガとか色々やりましたけどね!パワーストーンなんて小学生から持ち歩いていて、本当に沢山の恩恵を受けたなーと思いますが、最終的には“自らが自然に飛び込んで行く!”まできちゃいました。」
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「リラックス法など、意識的にやっている事はありますか?」
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「入山も頻繁に行ければ理想的なのですが、中々そうもいきませんよね。
なので普段はなるべく早く眠りについて日の出と共に起きるみたいなイメージで、極力自然の運行と同じサイクルで心身の活動を共にする様にして、朝は起きたらまず家中の窓を開けて、庭で深ーい呼吸でストレッチをするんですよね。
イメージはぐぅーーっっっと、深い呼吸で体中に酸素を巡らせる様なイメージで。そうして体をフラットな状態にて今日の自分の状態をまずは俯瞰で見るみたいに整えていきます。今から活動するよ!という感じで、自律神経のスイッチをオンにして、夕方からは今度は自律神経のオフに向かう様に。私の家には瞑想部屋があるんですが、瞑想部屋に入って瞑想から体をあっためる為に入浴します。占いの勉強を通じて東洋医学も学ぶ様になったのですが、冷えは本当に体に様々な悪影響を、及ぼす事を常々感じます。ですので、しっかり温めて今日行った活動からの負を暖めてしっかり浄化させる。
これをやると自分でもびっくりする位不調やストレスを感じる事がなくなりました。やっぱ体と心は繋がっていますよね。入浴や瞑想、呼吸などその一つ一つが良い影響を及ぼしている感じです。
どれか一つが欠けても、私ではなくなってしまう程大きいですよね。
とにかくやっぱり鑑定では相談者さんの申すことにしっかり耳を傾けて集中したいし、せっかくなので鑑定を通して少しでも問題解決に進めたい。でも私自身に余裕がないと、よい形になるのは難しい。だから入山して良い気をこれでもか!と体に注入したらあとは、しーかりリラックスして整える。同じ目線に極力たって相談者さん以上にもっと広い視野で問題を捉える事が出来る様な存在になる様に気を付けています。
最近、本当に思うのが、皆さんのお陰で実は私も凄く助けられているんだと思います。今の様な考えを持たせていただける事は実は私にとっても物凄くありがたい事なんです。良い鑑定を提供することがある種の幸せの一つになっているんですよね。
過去の藍先生のコラムでも7回連続で交通事故に見舞われたりだとか、病にもかかったりと、人には驚かれるような経験をしてきましたが、今振り返るとあれって相当何か意味のある経験なんだろうなと思いますね。一年間で7回の事故で、さらには今は落ち着きましたが当時は膠原病という様な、今だに原因がよくわかっていない病にもかかってしまって。小さいころからかなりの病弱でしたが、あの時が一番苦しかったかもしれません。
当時信仰に対しても、まだ大人になりきれていない事もあり、背を背けた時期で。これだけ立て続けに問題が起きてるのに今みたいに神様に信仰しようなども思えなくて、むしろどちらかというと「信仰で人生なんか変わらないんじゃないの?」とか、「意味あるのか?」とかちょっと寂しい発想にもなっていて。そんな中で今の師匠に出会って、ことの顛末を話したら「そんな病気から交通事故から連続で起きる様なものではないよ」とか「藍ちゃんが信仰をしていく必要がある人だよ」みたいに親の様に諭して叱って貰って今に至ります。
そこからたくさん気づきがあって、今の様に皆さんに少しでも良い鑑定が出来る様幸せになりたいみたいな発想に至りましたが、一連の流れを見てきた母親などは、人の人生がこうも変化するのか?みたいに驚かれてます。
たまーに「あんた本当に幸せになったよね、よかったよね。」と言われる事も。逆にどれだけ不遇だったんだよと思う所ですが。
それでも、そんな中から信仰を深める事によって、驚く様な開運を得られた事は本当にありがたいです。あの時、交通事故だ病気だと、何か気付かないといけない様な不思議体験に見舞われましたが、お陰様で沢山の気付きがありました。」
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「一番幸せを感じる時ってどんな時ですか?」
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「昔は“お金持ちになりたい!とか苦労したくない!”みたいな、なんともよくあるような事ばかり想像して「そしたら幸せなのになー」とか思っていましたが、実は私にとって全くそういうの必要ない事に気付いて、衣食住整った環境で家族がいて、入山できて1年ほど前に保護犬を迎えたんですが、保護犬と散歩をして、瞑想して良い空気を吸って、しっかり入浴してちゃんと休む。これが最大限の幸せです。だから今は本当に年々欲がなくなってきちゃってます。
後は、うちにガジュマルの木だったり植物がたくさんあるんですけど、立派に一緒に育って行けたらなー、、、位が今の願いです。なんだか仙人の様な生活かもしれません。すっごい元気なんだけど、なんというか普段はガヤガヤせず割と静かに暮らしてる感じです。
「あれが欲しい!これが欲しい!」もなくて。ただお勉強して信仰続けて、良い環境があれば、後は保護犬と家族で幸せに暮らせればいいなーって相当地味ですよね。
もしかしたら、ある意味何か悟ってもいるような感じかもしれません。欲との付き合いって難しいので、このような境地になるのはある意味幸せですよね。
ただ今後の目標ってのは、ちゃんとありまして!!一つはもう少し祈念祈祷などなどをしっかり皆さんに提供出来る様にしたい!のと、密教的な視点から潜在意識を視るみたいな事が時間はかかりそうだけど、提供出来る様にならないか?は思っているんですよね。
例えば気になる人とか気持ちがわからない相手の潜在意識から深い部分を鑑定するとか、
どんなふうにこの恋愛をすすめていけばよいか?とか踏み込める様なお勉強をやっていきたいんですよね。あとは小さな火にはなってしまうのですが、線香で護摩火を焚いてしっかり目の祈念祈祷も護摩焚きでおこないたいんですよねー!やっぱり現世利益ばかり求める訳ではないけれども、現世利益があってこそ信仰心をもとう!と人間なんでなりますよね。
あまりふざけ過ぎてもいけないと思うのですが、信仰はもっと自由に緩さもあっていいんじゃないかなーとも思いますよね。
あと個人的にはキャンプにいきます!極力パワースポットを目掛けて大自然に身を置いて、入山とはまた別の意味で“大自然で呑んで食べて休んで”をして良い気をチャージしたいんですよね。ただコロナ禍なので様子をみつつの目標になりそうですが。結局の所大自然さえあれば良いのかもしれません。」
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「最後にお客様へメッセージをお願いします。」
「今日はウラナのお客様に向けてお話しできる、機会をいただきありがとうございました!私は、お昼がメインの待機にはなりますが、少しでも私の鑑定や、このインタビューが皆さんの新しい気付きやお役に立てればと思っております。
これからも“初心を忘れない”をモットーにして、鑑定でも普段の生活でも。難しい事ではありますが「これは出来る。わかっている。私はわかってる!」みたいに驕り高ぶらないようにして、全力で向き合いたいと思っています。また、その難しさに明るく挑むのが、鑑定師として大切なことだと思います。
是非!これからも、私の元気を皆様に御分けしたいと思い日々精進していきます!
お悩みができましたら、いつでもご相談ください。皆様の幸せに近づいて行けるように、一緒にお悩みの解決に向け糸口を探っていきましょう!」
藍先生、本日は長時間、インタビューのご質問にお答えいただきありがとうございます。凄く充実した内容でした!日頃の鑑定への姿勢や、一方的な意見ではなく、受け止めてから解決策を探す事。また、執着を押さえつけるのではなく、共存していくという考えは、なるほどなと関心しました。自分を満たすことの大切さも勉強させていただき、自分なりの自分の満たし方を探してみたいと思いました。一人ひとりを丁寧に、深く視ていただける藍先生の鑑定はお話しをしているだけで前向きになり良い方向に進めそうですね。
ご興味を持たれた方は、ぜひ、藍先生へ鑑定をご依頼くださいね。